ニューラルネットワークと恒等関数
何かの値を受け取って、そのままの形で値を返す単純な関数を、恒等関数と言います。まるで鏡のように、入力されたものをそのまま映し出す働きをします。一見すると、こんな簡単な関数が一体何の役に立つのかと疑問に思うかもしれません。しかし、実はこの一見何の変哲もない恒等関数が、複雑な脳の神経回路を模倣したニューラルネットワーク、特に層を深く重ねた深層学習の分野で、とても重要な役割を担っているのです。
深層学習では、たくさんの層を積み重ねることで、複雑な事柄を学習することができます。しかし、層が深くなればなるほど、学習の過程で様々な問題が生じやすくなります。例えば、勾配消失問題は、学習の信号が層を伝わるうちにどんどん弱くなってしまい、うまく学習が進まなくなる現象です。反対に、勾配爆発問題は、学習の信号が層を伝わるうちにどんどん大きくなってしまい、学習が不安定になる現象です。これらの問題は、深層学習モデルの学習を妨げる大きな壁となっていました。
そこで登場するのが恒等関数です。恒等関数を導入することで、これらの問題を回避し、学習をスムーズに進めることができるようになります。具体的には、層と層の間に恒等関数を使った迂回路を作ることで、学習の信号を弱めることなく、深い層まで伝えることができます。まるで、山の頂上を目指す登山道に、途中に平坦な道を作るようなものです。これにより、急勾配な斜面を登ることなく、頂上までたどり着くことができます。
また、恒等関数は、スキップ接続と呼ばれる構造においても重要な役割を果たします。スキップ接続とは、ある層の出力を、より深い層へ直接伝える経路のことです。この経路に恒等関数を用いることで、ネットワークの情報伝達能力を高め、より複雑なパターンを学習できるようになります。これは、複雑な問題を解く際に、様々な視点から情報を集めることで、より良い解決策を見つけられることに似ています。
このように、一見単純な恒等関数は、深層学習モデルの学習を安定させ、表現力を高める上で、なくてはならない存在なのです。