哲学

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身体性:知能への鍵

私たちは、自分の体を使って様々なことを行います。熱い物に触れて思わず手を引っこめたり、美しい景色を見て感動したり、優しい風を感じて心地よさを覚えたり。こうした経験は全て、私たちが体を持っているからこそ可能なものです。「身体性」とは、まさにこの体を通して世界をどのように理解し、感じ、考えているのかを探求する考え方です。 これまで、知能や思考といったものは、体とは切り離されたもの、あたかもコンピューターのように頭の中だけで行われているものと考えられてきました。しかし、熱い鉄板に触れた時の反射的な行動や、夕焼けの美しさに感動する感情、これらは体を通して得られる情報が思考や感情に影響を与えていることを示しています。つまり、私たちの思考や感情、知覚は、体から切り離して考えることはできないのです。 例えば、生まれたばかりの赤ちゃんは、周りの世界を体を使って探っていきます。おもちゃを握ったり、なめたり、投げたりすることで、物の形や重さ、硬さといったことを学びます。歩くことを覚えると、今度は自分の足で世界を広げ、様々なものに触れ、様々な経験を積み重ねていきます。このように、体を通して得た経験が、赤ちゃんの脳の発達を促し、世界を理解する力を育んでいくのです。 大人になっても、体と心は密接につながっています。スポーツ選手が、長年の訓練によって磨き上げた技を、まるで体の一部のように操ることができるのは、体で覚えた感覚が思考や判断に大きな影響を与えているからです。また、私たちが言葉や文字といった抽象的な記号を理解できるのも、それらが体を通して得られた具体的な経験と結びついているからです。「りんご」という言葉は、赤い果実の見た目、甘酸っぱい味、ツルツルとした触り心地といった、過去の経験と結びついて初めて意味を持つようになります。 このように、身体性とは、体と心、そして環境が複雑に絡み合い、影響し合うことで、私たちの知能や思考が形作られていくことを示す重要な考え方です。私たちは体を通して世界を知り、体を通して世界とつながっているのです。
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中国語の部屋:知能の謎を解く

ある思考の試みについてお話しましょう。これはアメリカの学問をする人、ジョン・サールさんが考えたものです。この試みは、人の考え方をまねる機械が本当にものを「理解」していると言えるのかを問いかけるものです。 想像してみてください。漢字が全くわからない人が、一つの部屋にいます。その部屋には、漢字で書かれたたくさんの質問と、それに対する正しい答えが書かれた分厚い手引書が山積みになっています。部屋の外にいる人が、漢字で質問を書いた紙を部屋の中に差し入れます。部屋の中にいる人は、手引書を必死に調べ、質問と同じ漢字を見つけ、それに対応する漢字の答えを探し出して、紙に書き写し、部屋の外に出します。 部屋の外にいる人から見ると、まるで部屋の中にいる人が漢字を理解して、質問に答えているように見えます。しかし、部屋の中にいる人は、漢字の意味を全く理解していません。ただ、手引書に書かれた漢字を、絵のように見て、同じものを書き写しているだけです。まるで、模様合わせのパズルをしているように。 サールさんは、この思考の試みを通して、たとえ機械が人と全く同じようにやり取りできたとしても、機械が本当に「理解」しているとは言えないと述べました。つまり、機械は文字や記号を並べ替えることはできても、その文字や記号が何を意味するのかを理解することはできない、と言うのです。これは、私たちがものを考えるとはどういうことなのか、深く考えさせる試みです。
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中国語の部屋:知能の謎を問う

「思考実験」とは、頭の中で想像する実験のことで、実際に実験装置などを使わずに、思考の力だけで行います。思考実験は、哲学や科学の分野で、ある理論や考え方の妥当性を検証したり、新たな問題点を発見したりするために用いられます。有名な思考実験の一つに「中国語の部屋」というものがあります。これは、アメリカの哲学者、ジョン・サールが考え出したものです。 この思考実験は、機械がどれだけ複雑な処理をこなせるようになっても、本当にものを理解していると言えるのかという問題を扱っています。実験の内容は次のようなものです。中国語が全くわからない人が、一つの部屋に閉じ込められています。その部屋には、中国語で書かれた質問が紙切れで送られてきます。部屋の中には、分厚い説明書が用意されていて、その説明書に従うことで、中国語の質問に対する適切な中国語の返答を生成することができます。部屋の中にいる人は、その説明書通りに記号を操作して、返答を作成し、部屋の外に送り返します。 この説明書は非常に良くできていて、部屋の外にいる中国語を話す人は、部屋の中にいる人が中国語を理解しているかのように感じます。しかし、実際には、部屋の中にいる人は、中国語の意味を全く理解していません。ただ、説明書に書かれた手順に従って、記号を操作しているだけです。まるで、電卓のように計算しているのと同じです。この思考実験は、記号を操作するだけで知能があるように見せかけることはできるのか、それとも本当に意味を理解することが必要なのか、という問いを投げかけています。つまり、処理能力の高さは、必ずしも知能や理解を意味するわけではないということを示唆しているのです。